月さえも眠る夜〜闇をいだく天使〜

6.別れ



アンジェリークの報告にやけ酒を飲んだ人もいたかもしれないが、その日の聖地は明るい雰囲気に満ちていた。
いままで「新しい同僚ができる」ということはそのまま長い時を共に過ごした「古い同僚との別れ」を意味していたのだ。
だが、今回別れを伴わない仲間の誕生に、聖地の住人達は興味深々である。

「どうして、連れてこなかったわけ?あんたってば。わたくしがじ〜っくり検分してさしあげたのに」
差し向かいでお茶を楽しみながらロザリアがそうからかう。
「うふっ。あとでのおたのしみ」
「あら、『おたのしみ』だなんて、随分自信ありげじゃないこと?でも、ほんとに何故?」
「たぶん、少しでも長く故郷の惑星にいたいんじゃないかしら。今回は遠慮するって、言ってたわ」
それに、と付け加える。
「例の封印のことも心配見たい」
「異変が起きてるの?」
「ええ。でも、すぐにどう、という動きは見えないの。明日には、昇華しにロザリア、あなたが来てくれるわけだし」
アンジェリークはお茶を飲み、おいし。とつぶやく。
「オリヴィエ様が、『結婚式のドレスは私が決めるのよっ』って、さわいでらしたわ。 覚悟しておいた方がよくってよ。アンジェ」
着せ替え人形のように扱われること必至だ。
「うん。みんな、祝福してくれて嬉しい」
ロザリアはふふっと笑うと不意にまじめな顔になる。
「あんた、約束、守ってくれたのね」
「?」
「一緒に、宇宙を守っていこうって、その約束のことよ」
アンジェリークは友人の顔をみつめ、きっぱりと
「それだけは、絶対ゆずれなかったの。たとえ、離れ離れになったとしても。 でも、正直少しぐらついたわ。彼が監査官の資質を持ってたからよかったけど」
そう言って、微笑んだ。
「幸せになりなさいよ」
親友の祝福に
「うん。ありがとう。ロザリア」
そういって涙ぐむ。
ロザリアの方も、つい涙腺が緩んだが、それを隠すようにいつもの強気な口調で言う。

「言っとくけど、新婚だからって仕事甘くしたりはしなくってよ」

◇◆◇◆◇

聖地は今夜新月である。
そのあるけれど見えない月にアンジェリークは遠く離れた惑星の恋人を想う。
自分の部屋でふと思い出し、ディアからもらったオルゴールを開いた。
流れ出す、やさしく甘いワルツのメロディ。
―― 補佐官をやっていて辛いことがあっても、あなたを元気付けてくれるように ――
ディアが言っていたその言葉に、まだ、必要ないわね。と、蓋を閉じる。
静寂が訪れる。
ふいに、なにか不穏な予感がアンジェリークの心を過ぎった。
……?

そして、静かな聖地の夜は、サラトーヴからの緊急連絡によってその平穏を破られたのである。

◇◆◇◆◇

「セリオーン!聖地から次元回廊を繋げて直に応援が来るそうだ、無理はするな!」
鈍い赤毛、がっしりとした体つきの軍人仲間が、神殿へ向かおうとするセリオーンに声を掛けた。
「大丈夫だ、結界をはって少しでも時間稼ぎをする。あんたは住民の避難の方を宜しく頼む」
事前のデータにはなんの変化もなかったのだ。こんなに早く、異常が訪れるなんて思ってもいなかった。
強い風と雨、しばしば激しく揺れる大地。いたるところで被害が出ている。
ただ天災的被害の内は、こういっては何だが、まだいい。
が、悪しき気配の影響が人々の精神に現われた時、この惑星は真の地獄と化すだろう。
かつて二つの民族が殺し合ったように、住民は今度隣人を殺し始めるようになってしまう。
それだけはさけなければならない。
激しくたたきつける痛いほどの雨の中に出て行こうとした彼に、仲間の声が届いた。
「絶対、生きて戻れ!絶対だ!」
一向に進展しないアンジェリークとの仲を心配して、惑星監査官の申請を勝手に出したのは、実はこの軍人仲間だった。
申請した後、あっけらかんと、「これで後にはひけないぞ」 と、こういって、はははと気さくに笑ったものである。
ははは、じゃないよ、全く。とセリオーンは思ったものだが、うまくいったのだから文句は言えない。
セリオーンは振り向き、唸る風に負けぬよう叫ぶ。
「あたりまえさ!待っている人がいるんだからな!ありがとう、ヴィ……」
友人の名を呼んだセリオーンの声はさすがに風に掻き消された。

◇◆◇◆◇

聖地からの一行が到着した時、サラトーヴは不気味なほどの静けさに満ちていた。
住民はほとんど無事避難している。
その影に王立派遣軍の努力と尊い犠牲があったようだ。

「黒いサクリアの気配が感じられぬな。そう思わぬか、クラヴィス?」
「………」
ジュリアスの問いかけに返る、クラヴィスの無言の沈黙は、それでも「応」の意味を示していた。
四百年ぶりに訪れた惑星はかつての姿を見る影も無い。
轟音をたてて市街を流れている濁流、割れた大地、崩れた建築物。
なのに、この平穏な気配は?
まるで、昇華が終わったような気配なのだ。この惑星に、すでに、黒いサクリアは存在しない。そう確信する。
しかし、かわりに立ち込めている。これは。
――― 死の匂い、か。

「昇華は終了しているようだ。……我らの長居は、無用だな」
あっさりと踵を返すクラヴィス。
しかし、その眉間に深いしわが刻まれている。
―― 次に起こる出来事。 いや、すでに起こってしまった出来事が明らかになるその瞬間を彼はなるべく見たくはなかったのである。
「終了って、じゃあ、セリオーンが?」
あの時この惑星にいた人間で、それができるのは彼しかいない。
アンジェリークのその声に、闇の守護聖は歩みを止め応じる。
「……おそらくは」
その時、アンジェリークは先刻聖地で感じた不穏な予感を再び、さらに強く感じる。

かれは、いま、どこに、いるの?

「お願い。セリオーンを呼んで。事情を、詳しく聞きたいから」
声が震えている。
そして、その場に現われた鈍い赤毛の軍人。
彼がセリオーンの友人であったことは、アンジェリークも知っている。
住民救出の際に怪我をしたのだろう。 あちこちに、包帯を巻いており、特に顔面の右側半分を覆う、薄ら血のにじんだそれが痛々しい。
「セリオーン ―― 監査官殿は、黒いサクリアの流出を少しでも留めるべく神殿に向かいました」
淡々と話すそれは、今にも溢れそうになる感情を抑え込む手だてのようだ。
「じゃあ、もうじき……戻って、来るのね……?」
彼は、目を閉じ、やはり淡々と話す、努力をした。
「……災害が突然、止み……神殿に部下と共に駆けつけ……彼の」
その次の言葉は、まるで幻のように、彼女の耳に届いた。

「彼の、―― 遺体を、収容しました」

◇◆◇◆◇

遺体はひどい状態だから見ない方がいいのでは、という軍医のご丁寧かつ無神経な忠告を無視し、アンジェリークは静かに
「お願い、あのひとに、あわせて」
そう、言った。
霊安室にひとり向かうアンジェリークがさすがに心配になり、声を掛けようとする光の守護聖を闇の守護聖がたった一言、しかし強い口調で制す。

「かまうな」

リュミエールはその声にかつて「私にかまうな」そう言った闇の守護聖を思い出す。
ジュリアスも少し何か言いたげにクラヴィスをみやったが、そのまま沈黙した。

◇◆◇◆◇

今回の犠牲者の遺体の安置されている施設、その奥まった一角にアンジェリークはいる。
かつて、セリオーンであった「もの」と一緒に。
ひどい状態と言われた遺体であったが、それでも逢うといったアンジェリークに気をつかってくれたのだろうか、 傷があるのであろう、いや、存在すらしていないのかもしれない頭部と顔反面は見えないように布で覆われていた。
―― お友達と、おそろいね。
変なことを自分でも考えているなあ、ともうひとりの自分が考える。
やはり、布には赤い血が、けれど冷たい赤い血がにじんでいた。
表にででいる顔は、まるで眠っているかのように安らかである。
死は安らぎって、ほんとかもね。
さらに、そんな事を考えるでもなく思う。

ふわふわと、実感の伴わない感覚が襲う。
体が、微かに震えているらしい。
涙は、でなかった。
言葉も、でなかった。
重い鉛のようなものが彼女の涙腺も喉も塞いでしまったようだった。
そっと手を伸ばし綺麗なままの顔反面にふれる。
だが、その瞬間、驚いたように、手を引っ込めてしまう。

―― 冷たい

もう一度ゆっくりと手を伸ばし、セリオーンの唇に触れる。
一度だけ交わしたくちづけ。
あのときこの唇は、確かに温かかったのに。
アンジェリークがそっと、その唇に自分の唇を重ねた。
二度目のキスは

―― 冷たい死の味がした ――



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